exhibition
展示
大農園を見晴す白亜の館
ペルー 大農園領主の家
大農園を見晴す白亜の館
ペルー 大農園領主の家
復元年代
復元方法
スペイン文化が香り立つ、豪華な造り
アシエンダ(大農園)は、アメリカ大陸の旧スペイン植民地において、スペイン系領主がインディオ(先住民)や黒人の労働力を使って経営した大農園制度です。ワタなどを栽培し莫大な利益を上げていました。
リトルワールドの展示家屋は、海岸地方に建つ邸宅をモデルに復元しています。
丘の上に中庭を囲んだ母屋があり、その左端にカトリックの礼拝堂が設けられています。前庭の手前には農場経営のための事務室と倉庫があります。
母屋には、応接室、書斎、寝室などたくさんの部屋があり、それぞれヨーロッパから輸入した豪華な家具で飾られています。しかしスペイン人領主はここで生活をしているわけではなく、首都リマに本宅を構え、ときどき視察に訪れるだけでした。
領主たちのぜいたくなくらしは、前庭の馬車まわし、正面入り口のアーチ、回廊を設けた中庭などにも表れています。
モデルとなった家は、今
展示家屋のモデルとなった「カキ」という名のアシエンダは、首都リマから70kmほど北にあるチャンカイ谷の高台に位置し、周囲にはワタ、オレンジ、野菜などの農地が豊かに広がっています。
数百年つづいたアシエンダの経営も1969年の農地改革によって終止符をうち、その後は「カキ」は共同住宅となり、現在は空き家になっています。
壁のしっくいも剥がれ、昔のおもかげをほとんどとどめていません。

現地に今も残る館「カキ」(2024年撮影)
中南米に夢を見た日本人移民たち
日本人の中南米移住が始まったのは、1893年。1941年に移民が完全に停止するまでに、約24万人の日本人が海を渡り、その99%がブラジル、ペルー、メキシコ、アルゼンチンの4ヵ国へ移住しました。
ペルーではサトウキビや綿花などの栽培が盛んで、大農園アシエンダへは多くの日本人が労働者として雇われていきました。成功を求めて別天地へ渡った移民たちでしたが、その中で成功し、日本に帰れた者はごくわずかであったと言われています。成功した者も第二次世界大戦により、強制収容所に入ったり国外追放されるなど、そのくらしは決して平たんなものではありませんでした。
アシエンダ「カキ」を最後に経営していたのが、「綿花王」と呼ばれた日本人・岡田幾松氏でした。
故郷の広島を出てペルーの地を踏んで以降、さまざまな困難と苦労を乗り越え、ついには計6つの大農園を経営する成功者へと至ったのです。
しかし、第二次世界大戦で日本が敵国となると(ペルーはアメリカと協調をとった)、日本人の耕地は没収され、財産は凍結されてしまいます。岡田氏は北米の強制収容所へ送られ、その後日本へと帰国し亡くなりました。
日本人移民の残した足跡は、大農園の歴史とともにに刻まれているのです。
ペルーのくらしを映す絵画

壁画「インカ帝国の滅亡」の一場面
礼拝堂と倉庫棟には、ペルー人画家で修復師であるハイメ・ロサン夫妻の手による壁画が半年にわたって描かれました。礼拝堂には、現地「カキ」の壁画「イエスの誕生」「最後の晩餐」を、同じ“テンペラ”という技法(顔料に卵を混ぜて描く)を用いて忠実に再現しています。倉庫棟には、「インカ帝国の滅亡」「アシエンダのくらし」というテーマで描いています。
2024年9月から10月末にかけて、ハイメ・ロサン夫妻がお孫さんとともに来日し、傷んだ壁画の一部を修復してくれました。リトルワールドの展示家屋は、こうして長期間に及ぶ現地協力者の手によって維持されています。